音楽エッセイ
2004/1/31土

花の女王

 1/27付けの読売新聞夕刊に、「世界らん展」の開催を前に、フルーティストの山形由美さんが"ランとの出合い"を語るという記事がありました。

 その中で"「花の女王」と主張するようなコチョウラン "という表現がありました。私は、「花の女王」といえば、「バラ」だというイメージをずっと持っていましたが、たしかにランは魅力的ですし、ピンク系の胡蝶蘭は豪華で女王の風格が感じられます。

 山形由美さんは、昨年までラン展の会場でフルートを演奏されたそうですが、花の中でフルートを演奏されるというのは、雰囲気があって、聴くほうとしても、ホールと違う感じでいいだろうな、と思います。


2004/1/24土

広告史

 "偉人はみんな広告上手"と、ルイ14世やイエス・キリストなどの偉人を広告という観点で書いた本「私説 広告五千年史」を読みました。

 この本の中に、「天上のCMソング/グレゴリオ聖歌」という章がありました。グレゴリオ聖歌をCMソングという目で見たことはありませんでしたから、面白かったです。他にも"「マタイ受難曲」はキリストの愛を生き生きと広告していると思う"ということが書いてあります。

 単旋律のグレゴリオ聖歌は、私も大好きですが、広告という観点でも聴けるのか、と感心してしまいました。


2004/1/17土

レクイエム

 今、放送中の「白い巨塔」のポーランドロケの回を見て、「白い巨塔」の原作本は、すでに一通りは読んでいましたが、また読み返したくなりました。終わりのほうの、ケイ子が真紅の薔薇をことづけるあたりからは、何度も読んでいます。

 財前が亡くなった時、小説では、ベートーベンの「荘厳ミサ」が、田宮版のドラマでは、モーツァルトのレクイエムからラクリモーサが流れていました。活字では、ベートーベンがいいと思いますし、ドラマに流れる音楽としては、このラクリモーサの選曲は、これ以外の曲は考えられないというぐらい、素晴らしかったと思います。

 今でも、このラクリモーサを聴くと、田宮二郎演じる財前が運ばれていくシーンの映像が頭の中をよぎります。今、放送中の唐沢版では、どんな曲が流れるのか、興味を持っています。


2004/1/11日

シンセサイザー

 テレビプロデューサーの方の著書「映像の狩人」という本を読んでいたら、あるドラマの音楽で、「音楽担当者が、"楽器も弦などを出来るだけ避けて、心理表現のためにシンセサイザーを使うことを決めた。"」と書いてあるのを読みました。

 私はシンセサイザーといえば、電子音というイメージが強くて、その音が心理表現に使われるというのは、この本を読んだとき、今ひとつピンときませんでした。

 でも、先日「音のなかの文化」という本に「シンセサイザーという合理的な楽器を使って、偶然をつくり出している」という文を見かけて、シンセサイザーというのは、それだけ幅広いものを表現できるものなのか、とシンセサイザーに対する見方が変わりました。 


2004/1/5月

文章上達秘伝

 「文章王」などの著者、村松恒平さんが発行されているメールマガジン「プロ編集者による 文章上達<秘伝>スクール 」を読んでいます。読者の質問に答えるというメルマガですが、その1/1号に目を通していると、"音楽を表現するには?"という質問がきていて、その答えがとても参考になりました。

 パユのコンサートの感想を書く時も、はじめの頃は良かったですが、たくさん書いていると、何を書こうかと悩むことが多くなりました。同じことは書きたくないけれども、だんだんと同じことばかりを書いているような気持ちになってくるのです。

 文章を書く限りは、自分にしか書けないものを書きたいという気持ちはあります。このメールマガジンの答えを読んで、また新たな文章が書けそうな気分になってきました。


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