1年をふりかえって

左膝蓋骨骨折のリハビリまとめ

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 2023年7月9日に、雨上がりの濡れた道を歩いていたら、滑って転倒し、膝をゴンとうって、左足の膝の皿が割れました。午後5時前でした。ズボンの上からでも、膝の皿が上にずれているのが分かりました。大変なことになったと思いました。

 

 救急車を呼びましたが、最近は救急車の出動が増えているのは感じていましたので、救急車を呼んでも、すぐに来てくれるのか不安でした。でも、5分くらいで来てくれました。

 

 担架に乗せられて、救急車に入りました。私はマスクをしていませんでしたが、マスクの着用を求められることはありませんでした。救急車の中で体温を測りました。37.1度でした。骨折して、体が興奮しているのかな、と思いました。「入院となると、PCR検査をされるのだろうか」と心配になりましたが、結局PCR検査はしませんでした。

 

 救急隊員さんから、「今日は日曜日だから、入れる病院が少ない」と言われました。救急隊員さんが電話して、断られているのも聞こえてきましたが、無事に入れる病院が見つかりました。そんなに時間はかからなかったと思います。

 

 病院に到着して、ダダダッとレントゲン室に入りました。その後、CTの検査もありました。CT検査の時に、同意書にサインをしました。

 

 この日は、日曜日でしたので、非常勤のお医者さんでした。「膝の皿(膝蓋骨)が、上と下に割れて下の方が粉々になっています。手術が必要で、3週間の入院になります」と言われました。「手術がこの病院でできるのか、もしもこの病院で手術のあきがなければ、他の病院に転院になる可能性もある」とも言われました。結局、この病院で、手術してもらえました。この時に、ニーブレース(膝の固定具)を巻かれました。これは病院からのレンタルでした。

 

 入院手続きをして、その日は緊急病棟(個室)で寝ました。

 

 7月10日に、主治医の先生が来られました。「膝蓋骨の骨折は、手術をしなくてもいい場合もありますが、1cm以上離れているので、手術が必要」と言われました。後で、撮影した写真を見せてもらったら、3cmぐらい離れていました。

 

 その後、整形外科病棟に移りました。4人の大部屋でした。手術は、膝をうった腫れがひかないとできない、とのことで、7月14日午前9時に決まりました。

 

 7月11日に、リハビリの先生(理学療法士)と初対面でした。「7月14日の手術日までは、左足を地面につかないように。トイレも必ず看護師を呼んで、車いすで行ってください」と言われていました。ですから、リハビリと言っても、平行棒を両手で持って、右足を使って、少し往復するだけでした。

 

 それよりも、話している時間が長かったです。私が「退院後、松葉杖は必須ですか」と質問すると、「必須ではない」と言ってくださって、良かったです。松葉杖を使うと、行動が制限されます。料理もできませんし、ほうきで掃いたり、掃除もできません。ですから、松葉杖は使いたくありませんでした。

 

 後は「私は趣味でフルートを吹きます。立って演奏する時は、どちらかと言えば、左足に重心がかかりますが、左足がこんな状態になってしまって」と言いましたが、「無理にたくさん吹くということがなければ、大丈夫ですよ」とのことで、ホッとしました。

 

 手術前日の7月13日まで、リハビリは毎日ありました。

 

 「私は、仕事に行くと1日1万歩以上歩くのですが」と話すと、「デスクワークですよね。僕はこの仕事をしていても、1日12,000歩ぐらいですよ。退院後すぐに1万歩は多すぎる」と言われました。私の家の周りは坂なので、「退院後すぐに坂を上るのは難しい」とも言われました。なので、退院後すぐは、会社に泊まることにしました。

 

 7月13日に、ニーブレースを買いました。8,000円くらいでした。業者の方が病室に来られました。後で、健康保険で7割のお金が戻ってくるとのことでした。

 

 7月14日に手術をしました。全身麻酔でした。午後1時過ぎに、病室に戻ってきました。目が覚めて、足に痛みはありませんでした。正座をした後のようなピリピリ感があっただけです。この後も、痛みは全然ありませんでした。手術を上手にしてくださったのだな、と思いました。でも、7月14日は、足の甲を触られても、感覚がありませんでした。感覚は、7月15日には、だんだんと戻ってきました。

 

 7月15日には、リハビリがありました。トイレに行く練習でした。

 

 入院中のリハビリは、土曜、日曜、祝日でない日はありましたが、毎日ありました。

 

 私は緊急入院でしたので、退院する時の服がありませんでした。手術後に左足を見ると、手術前の2倍くらいに太くなっていました。「自分で退院する時の服を用意しないといけないな」と思いました。

 

 7月16日にAmazonに注文して、配送先を病院にしてもらうことにしました。看護師さんに配送先をどう書けばいいかを聞きました。その時に、看護師さんが「ジャージがいい」と教えてくださいましたので、ゆったりとしたジャージをいつものサイズよりもひとつ大きいのを注文しました。その時に、下着などもすべてまとめて注文しました。無事に病室に届きました。

 

 7月18日に、左足を地面につけて歩く練習をしましたが、私は、うまくできませんでした。「この状態で、車いすを手放すのは怖いな」と言われて、この日もまだ、トイレには、看護師さんに車いすで連れて行ってもらうことになりました。「左足に体重をかけて立つ練習をしてくださいね」と言われました。ですので、この日は、何回もトイレに行って、左足にも体重をかけて立つ練習をしました。

 

 7月19日のリハビリで、理学療法士さんが病室に来られた時、「立つのは上手いな」と言われました。リハビリ室に行って、歩行器を使って、歩く練習をしました。この日は上手くできて、「今日から、歩行器を使って歩きましょう」と言われて、トイレにも歩行器を使って、自分で行けるようになりました。

 

 手術では、膝蓋骨をピンとワイヤーで固定してもらいましたが、粉々になった一番下にはピンをさせなかったとのことでした。この骨が上の骨にくっつかないといけない、ということで、7月24日から、超音波をあてるセーフスを始めました。3ケ月間、退院後も毎日するということで、10月23日までしました。2か所に、20分ずつです。この機械はレンタルで、10月24日にクロネコヤマトがひきとりにきました。10月14日に、むこうの方から電話がかかってきていました。

 

 私の骨はこういう状態なので、結局、ニーブレースは、手術後8週間の9月11日までつけていました。お風呂に入る時以外は、寝る時もずっとつけていました。9月11日まで、左足は曲げられない状態でした。

 

 手術後、7月20日までは、痛み止めの薬を飲んでいましたが、7月20日に、薬剤師さんが来られて、「痛くなかったら、薬を飲まなくてもいい」と言われましたので、7月20日以降は、痛み止めの薬は、まったく飲んでいません。

 

 7月24日に、リハビリで、歩行器なしで歩く練習をしました。坂の上り下りの練習もしました。松葉杖を使う練習も少ししましたが、坂道では松葉杖を使うのがかえって難しいな、と思いましたし、必要もないかな、とも思いました。理学療法士さんも「松葉杖は必要ないですね」と言われました。この日から、歩行器なしで歩くようになりました。

 

 7月27日に、リハビリで、病院の外の道を歩きました。その前に、病院内のエスカレーターで、エスカレーターに乗る練習をしました。病院の外の道を歩いたこの日に初めて、この病院の外観を見ました。

 

 退院した後、一番心配していたのが、ベランダに洗濯物を干すことでした。ベランダは2階で、部屋からベランダに出る時が心配でした。理学療法士さんに、こういう風にしたらいい、と教えてもらいました。後は、布団に寝る時と起き上がる時に、左足を曲げずにする方法も、教えてもらいました。

 

 理学療法士さんに「足が安定するまでは、両手があくリュックを使った方がいい」と言われて、ノートパソコンも入るというこちらのリュックを買いました。容量が大きくて、とても気に入っています。

 

 退院は、7月31日に決まりました。

 

 7月31日の午前中に、会社から車で病院まで迎えに来てもらい、そのまま会社に行って、仕事をしました。左足を曲げられないので、机の下にそれだけのスペースがあるか、心配でしたが、大丈夫でした。左足の先に、箱を置いて、左足を上げる状態にしました。3週間も入院していましたので、体力が落ちているな、と思いました。少し仕事しただけで、疲れました。休み休み仕事をしました。

 

 7月31日から8月10日まで、会社に泊まり、通勤ゼロにしました。

 

 これから、太字で書く日付は、病院にリハビリ通院した日です。角度の太字は、左ひざを曲げられた角度です。

 

 リハビリの日は、上に書いたジャージを着ました。膝をもんでもらう時に、さっと膝を出せます。歩く様子を見てもらう時に、膝を見せることもすぐにできます。

 

 8月7日 左足を曲げない状態だと、太ももの筋肉が落ちていく、ということで、電気をあてました。

 

 8月11日から、お盆休みでしたので、一度家に帰りました。ニーブレースをつけて歩くと、歩く時間は骨折前の2倍の時間がかかりました。上り坂、下り坂、平坦な道とも、同じく2倍の時間がかかりました。家に帰ると、早く家に帰りたいな、という気持ちになりました。8月12日に会社に戻りました。

 

 8月14日 手術後、仰向けになった状態から、左足を持ち上げることができませんでしたので、「次のリハビリの日までに、それができるようにしておいてくださいね」と言われました。この日、リハビリから帰って、してみると、できるようになっていました。

 

 8月17日から家に戻り、フルートレッスンがある月曜日だけは会社に泊まるようにしました。これは、超音波のセーフスをする10月23日までそうしました。その後は、完全に家に戻りました。

 

 8月21日 電気をあてました。「今はまだニーブレースを外して、どれくらい歩けるのかを見ていないから、いつ普通に歩けるようになるかは、はっきりと言えない。個人差があるから」と言われました。

 

 8月29日 ニーブレースがまだとれない状態なので、リハビリでできることは限られていました。理学療法士さんに膝をもんでもらいました。膝をもむのは毎回していただいています。

 

  9月5日 理学療法士さんから「電車で席をゆずってくれる人はいた?」と、今までにも何回も聞かれていましたので、「昨日、退院後初めて電車で席をゆずってくれる人がいました」と話しました。「男性?若かった?」と聞かれて、「はい、若い男性でした」と言うと、「話を聞いていると、若い男性しかゆずってくれないみたい。若い女性、おばさま、サラリーマンはゆずってくれない」と聞いて、すごく納得してしまいました。

 

 9月12日 30度 9月11日の診察でやっと、ニーブレースを外す許可が出ました。リハビリは、理学療法士さんと1対1でしますが、この日はリハビリ室の私のベッドの前に、3人の理学療法士さんが集まり、「ニーブレースが長かったね」とお話されていました。手術してこんなに長くニーブレースをつけているのは、たぶん、なかなかないですよね。

 

 この日は、「主治医の先生から、膝を30度まで曲げていい、と言われている」とのことでした。でも、もう少し曲がりそうなので、理学療法士さんが主治医の先生に電話していました。つながりませんでしたが。

 

 9月15日 45度 膝は徐々に曲がっていきましたが、歩く感覚をなかなかつかめません。 

 

 9月20日 60度 歩く時は、かかとをついてから、つまさきで蹴って、前に進む、と言われました。ベッドでは60度に曲がりますが、歩く時に、左膝が全然曲がらない状態です。歩く時は膝は60度くらいしか曲がらないから、理屈としては普通に歩けるはず、とのことでした。 

 

 9月28日 70度 理学療法士さんに強引に曲げてもらって70度という感じです。歩く感覚が全然つかめていません。

 

 10月6日 80度 10月2日の診察で、膝を曲げる角度の制限がとれた、ということで、自分でも、もっと膝を曲げていかないといけない、と言われました。

 

 歩く時の着地(かかとをつく)の感覚がようやくつかめました。つま先をおおげさに上げてちょうど、という感じです。

 

 この頃は、気合を入れて歩けば、歩くスピードは速くなってくるかな、と思っていましたが、そういうことはなく、結局、正しい歩くフォームで歩かないと、骨折前の歩くスピードには戻らないな、と考え直しました。

 

 10月13日 90度 歩く時の着地がうまくいけば、つま先でけるのも、やりやすいな、とは思っていました。「かかとをついてから、つま先で蹴るまでの時間が短い」と言われて、かかとからつま先までをベタベタと足裏を地面につけることを意識しました。これで、ようやく歩く感覚をつかめました。

 

 10月20日 90度 「一歩目からしっかり膝を曲げて、かかとがあがるように」と言われました。意識しないと、膝が曲がらない歩き方になってしまいます。

 

 10月27日 90度 この日初めて、病院でリハビリができるのは、手術日から150日間と知りました。階段の上り下りをするには、120度には曲げられないといけない、と聞いていましたので、焦りました。私のリハビリ最後の日は、12月8日で、あとひと月ちょっとしかありません。

 

 自分で膝を曲げるのも、私は、タオルでひっぱるとかは、怖くて、心理的にブレーキがかかってできません。ですから、この日、怖さを感じない方法を教えてもらいました。

 

 今までは、1日に2-3回曲げようとしていましたが、それでは90度以上に曲がっていかないので、会社にいる時間も、1時間ごとに曲げるようにしました。最初のうちは、1時間ごとにしていても、90度以上に曲がっていく気がしませんでしたが、日を重ねているうちに、少し曲がってきたかな、と感じるようになりました。

 

 11月2日 105度 この日から、階段の上り下りを右左と普通にする練習になりました。手すりを持った状態です。上りは難しくないですが、下りは難しいです。

 

 この日から、通勤や会社内、家の中で、階段を上るようにしました。手すりは持っています。家の階段は20cm、会社の階段は18.5cm、駅の階段はもう少し低いです。

 

 11月10日 110度 リハビリで自転車のペダルをこぎました。自転車をこいだのは、数十年ぶりでした。

 

 11月13日 115度 10月13日に歩く感覚をつかんだ時に、歩くスピードは、ほぼ元に戻ったけれど、もう一歩かな、と思っていました。この日、「つま先で蹴る時、けり切れていない時がある」と言われて、つま先でけることを意識するようにしました。これで、完全に歩くスピードが元に戻りました。

 

 この日から、階段の下りも、下りていくようにしました。手すりを持っています。左足を軸にした一歩目が難しいな、と思いました。

 

 11月17日 115度 階段の上り下りをしていたら、自然に120度に曲がってくるかな、と思っていましたが、115度で停滞しています。「何か持って、スクワットをしてください」と言われました。

 

 11月24日 115度 小走りをしました。リハビリは1対1でしますが、毎回同じ理学療法士さんではなく、トータルで7人の方のお世話になりました。この日の方には「リハビリ終わりの光が見えてきたな」と言われました。

 

 12月1日 115度 「病院でのリハビリが終わっても、自分で膝を曲げることは続けてください。曲がる余地はまだあると思うし」と言われました。

 

 12月8日 120度 強引に曲げてもらった感じもありますが、なんとか120度曲がりました。

 

 12月15日から、階段の上りを、手すりを持たずにあがるようにしました。腕を振っていることも多いです。

 

 12月26日から、階段の下りを、手すりを持たずに、下るようにしました。下りは難しく、最初は手すりを持って、下りていくうちに手を放していくような感じです。

 

 膝はもう少し曲がると思いますので、がんばりたいです。

 

 今回の骨折は突然のことでしたが、主治医(=執刀医)の先生、理学療法士さん、そして、救急隊員の方にも恵まれました。


 

歩数について

2023年8月の歩数

 8月17日に家に戻り、電車通勤を始めましたので、8月17日からは、骨折前の歩数に戻っています。ただ、この頃はニーブレースをつけていましたので、歩く時間が2倍かかっていました。朝、家を出る時刻は、骨折前よりも早かったです。

 

 8月でも、1日に15,000歩歩いた日がありました。それを理学療法士さんに話すと、「今の段階では、15,000歩は少し多いので、もう少し歩数を抑えられたらいいですね」と言われました。

2023年11月の歩数

 11月は、歩く感覚をつかめて、歩くスピードは骨折前に戻っています。11月15日が2万歩を超えているのは、コンサートに行ったためです。私の生活の中で、1日に2万歩を超えるのは、1年に1度あるかないかです。

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